埴輪の表情の研究②
今回も東博の展示埴輪のスケッチをしてみた。口元が見事な三日月型で、柔和な表情でにっこりと微笑んでいる(筆者の画力の限界で、高慢な笑みの表情にしか見えないが実物はもっと穏やかな表情である...)。
笑顔は必ずしも訪問者への歓迎ではなく、むしろ威嚇の意志を表現していると物の本で読んだ気がしたが、はて、どうなのだろう。
「表情の研究」と言いつつ、ポージングにも注意する。腰ではなく腹部の全面に両手を当てているように見える。実際に真似してみると、やや不自然な体勢のようだが何か特別な意味があるのだろうか。また、右手が親指を立てているのに対し、左手は握りこぶしのようだ。こうした細かい差異にも意味があるのだろうか。
左腰に備わった物は、勾玉のような形状に見えるのだが、人間の等身と比較して随分大きいようにも見える。疑問は尽きない。
埴輪の表情の研究①
最近では古墳を巡るのに飽き足らず、ハニワ自作にも挑戦している。といっても、百円ショップで購入した紙粘土を使って作る「ハニワもどき」のようなものだが。
初めて自作に挑戦した感想として、ハニワ自作には表情の研究が欠かせない。笑っているようにも、哀しんでいるようにも見える、この独特の表情はそう易々と作り出せるものではないようだ。
そこで、昨年訪れた国立東京博物館で展示されていたハニワの中からお気に入りの表情の一体を選び、ラフにスケッチしてみた。
ハニワ特有の独特の表情の雰囲気が伝わるだろうか。
10/28(土),29(日)に熊本県内の装飾古墳が一斉公開
2017年10/28(土)、29(日)の2日間に、熊本県内の装飾古墳が一斉公開される。
熊本県内には装飾古墳が多く、「古代肥後の精華」と称えられる。残念ながら昨年の震災で石室内の壁画が損壊した古墳も多いようだが、2日間で計10箇所が公開されるようだ。
以下に公開される装飾古墳の一覧を引用した(熊本県立装飾古墳館のweb(
http://www.kofunkan.pref.kumamoto.jp/event/index.php
)より)。
【公開される装飾古墳】
10月28日(土)
・鍋田横穴(山鹿市)
・田川内第一号墳(八代市)
・大村横穴群(人吉市)
・京ガ峰横穴群(錦町)
10月29日(日)
・大坊古墳(玉名市)
・永安寺東古墳(玉名市)
・石貫穴観音横穴(玉名市)
・石貫ナギノ横穴群(玉名市)
・塚坊主古墳(和水町)
・横山古墳(山鹿市)
社会人日記1
今日は職場でストが起きた。
珍しくもない。半年に一度はストが起こる。大体は社員のストレス発散程度のもので、理念も何も感じられないただの暴動だ。
「書類を燃やせ!」
中庭の巨大な焚き火を囲み、老いも若きも歓声を上げる。
木簡が次々と火に投げ込まれていく。ぱちぱち、パキン、乾いた音をたてて形を失う。
投げ込まれた木簡に見慣れた字が見え、思わずあっと声をあげた。
距離があっても見間違えるはずがない。先輩の字。
一人で残業している時、誰よりも早く出勤した時、紐にずらりと通してある木簡の列から的確に見つけ出して、そっと撫でていた先輩の書いたもの。
先輩の長い髪と同じ色の墨で書かれた流れるような字。
先輩は知らない社員達(組合の人たちだろう)と肩を組み、見たことのないような顔をしていた。長い睫毛が火を映す瞳に影を落としている。
化粧が落ちているのも気にしない様子だったが、先輩はとても綺麗だった。
火の中からは時たま甲高い断末魔も漏れてくる。
木簡にたかっていた鼠たちだろう。
先輩の木簡も、木簡を齧りにくる鼠たちも、私は好きだった。
明日になれば、皆粛々と始末をして日常の仕事に戻るのだろう。
そう思いながら私は消し炭となった先輩の木簡を拾いあげた。
もろもろと崩れるそれは、囓ると泣きたくなるくらい苦かった。
京都・五塚原古墳で全国初の埴輪が出土
やや古い(2017年9月初旬)ニュースだが、京都の五塚原古墳で全国初となる埴輪が出土したという。
上部が球状、全国初の埴輪 京都・五塚原古墳で出土 : 京都新聞
以下の箇所を読むと、これまで見つかっている埴輪と全く異なる形状という訳ではないようだ。逆にいうと、これだけの差異でも「全国初」と報告されるほどに、埴輪というのは規格化されているのだろうか。
埴輪の破片約300点を接合し、高さ約66センチ・口径約20センチに復元した結果、埴輪上部が丸みを帯びて円筒形の器台よりも膨らんでおり、立ち上がりが約1・5センチと開口部の広がりがほぼなかった。製作方法から朝顔形円筒埴輪に分類できるものの、同埴輪の上部はつぼの形にかたどられ、開口部が大きく広がるのが特徴で、今回そうした形状はみられなかった、という。
そもそも、2017年現在で、「全国初」の埴輪はどれくらいの頻度で報告されるのだろう。
箸墓古墳(奈良県桜井市)②
前回のつづき。
Googleマップで色々な角度から眺めるのも、古墳探索の楽しみの一つだ。
まさに巨鯨という趣の墳丘。
1700年以上経過していると推測される割には、それほど年輪を重ねた大木は多くないように見えるが、どうなのだろう。あくまで推測だが、宮内庁によって立ち入り禁止となる以前には、地域住民たちによって生活資源として墳丘の木々が伐採されていたのかもしれない。
後円部のすぐ脇から。墳丘の周辺に沿って車道が通っている。この低い柵の向こうは、女王卑弥呼が眠るともいわれる禁足地だ。思わず目を凝らしてしまう。
墳丘の裾に沿って、車道が続いていく。
パノラマ写真を撮ってみた。前方部はカーブの折れ曲がるあたりから始まる。
前方部正面には鳥居が立っている。
少し古墳から離れて、周辺を散策してみる。
古来よりこの一帯には溜池が多いらしい。ちょっとした池一つにも、かつての大王とのゆかりがあるのだろうか。
この池の亀たちはどうも人間の足音に敏感に反応するようだ。池の周囲の土手に登ってこの写真を撮ったのだが、亀たちはすぐに池の中に隠れてしまった。
今回はここまで。
次回は、箸墓の周濠の一部である、箸中大池から対岸の箸墓を臨む。水面に映る墳丘は、どんな姿を見せてくれるだろうか。