イタズラ電話

海外・国内文学、人文、自然科学などのジャンルを中心とした読書の感想を綴ります。光文社古典新訳文庫、平凡社ライブラリー、講談社文庫、ちくま学芸文庫などが多めです。時たま、古墳散策とタイピングについての記事も。

手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ 藤田 祥平 (著)

ネットゲームで世界4位にまで上り詰めた伝説的ゲーマーによる半自伝的青春小説である。

帯の煽り文句によれば、著者は母親が自殺した瞬間もネットゲームに興じていたのだという。言うまでもなく、常軌を逸したのめり込みぶりである。この煽り文句だけを読むと、今作はいわゆる「ネトゲ廃人」の転落と更生の記録のような内容ではないかと想像する方も多いだろう。

だが実際のところ、この半ば自伝であり、半ばポストモダン小説であるかのような作品の主人公=著者は、単なる熱狂的なゲーマーではない。この作品はむしろ、ある作家の卵が自らの創作能力によって人生の傷を癒す物語として読めるのではないだろうか。

  • きっかけという呪い
  • 高校生活とその後
  • 文学の薫陶を受ける
きっかけという呪い

学問、スポーツ、芸術など、どのような分野でも、大成した人物には「人生を変える瞬間」があったと語られることが多い。それはあたかも天啓のようであり、望むと望まぬとに関わらずにそれ以降の人生を決定づけてしまう呪いのようでもある。

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顔のない裸体たち (新潮文庫) 平野啓一郎 (著)

あまり物事に思い悩まず、周囲に流されるように人生を送ってきた中学教師の女性「ミッキー」と、鬱屈した感情を抱える典型的なダメ男「ミッチー」の間の、ねじれた性的主従関係を描いた物語。

誰の記憶にも残らなかったであろう女性が、センセーショナルな事件に巻き込まれるまでを描く。

「ミッキー」は、クラスで話題に上がるようなこともない、自分自身よりも「自分の写真に似ている」ような女性。なんとなく、川上未映子の作品(「愛の夢とか」のどれか)に出てきた、帰宅後に何をする訳でもなく充電器に収まるようにひっそりと時間を過ごす女性を彷彿とさせる。

今作では、他人の人生の書き割りとして作られたような女性が、どのようにして一大センセーショナルをもたらす事件の中心人物となるのかを描いている。 

顔のない裸体たち (新潮文庫)

顔のない裸体たち (新潮文庫)

 

 

エッジ 上 (角川ホラー文庫) 鈴木 光司 (著)

「リング」シリーズでおなじみの著者による、2013年のシャーリイ・ジャクスン賞受賞作。

日本各地で発生する大量失踪事件について、ルポライター栗山冴子とテレビ局ディレクター羽柴が事件の真相に迫るという内容だ。

主人公・冴子にもかつて失踪した父がいる。片親の冴子にとって心の拠り所であり、理想の男性像でもある父の失踪は、冴子の心に深い影を落としていた。だが二人が事件の真相に迫るにつれて、冴子の前には失踪する直前の父の足跡が見え隠れしてくる。

物語の背景には、量子力学における波動関数の収縮や、人間原理アインシュタインとボーアの論争といった科学的知識が散りばめられている。観測者と宇宙の相互関係、あくまで人間の言葉である数学によって物理法則を記述できる不可思議さなど、世界の成り立ちについての著者の深い関心が伺える内容だ。

また、個人的には羽柴の出身地である三島や、物語の核心部分に近づくきっかけとなる熱海など、地元が頻繁に登場にするのが嬉しい。そういえば「リング」シリーズでも、貞子の曰く付きの井戸の所在地は伊豆だったと記憶しているが、著者は静岡県東部に何らかのゆかりがあるのだろうか?

冒頭で描写された世界崩壊の不気味な兆しが、本編とどのように関連していくのかに注目しつつ下巻へ進む。

 

エッジ 上 (角川ホラー文庫)

エッジ 上 (角川ホラー文庫)

 

 

読書について (光文社古典新訳文庫) ショーペンハウアー (著), 鈴木 芳子 (翻訳)

トルストイカフカトーマス・マンニーチェに称賛された、あるいは影響を与えた著者の手によるアフォリズムが織り込まれた哲学小論集。

怠惰な読書は、能動的に磨き上げた思考に劣ると述べた「自分の頭で考える」、文体の乱れが思考と品位に影響を与えることに警鐘を鳴らす「著述と文体」、良書を読むために悪書で無駄なエネルギーを消費しないこと、良書は二度読んで味わうこと、洗練された古典を読むことの効用などを述べた「読書について」の三本からなる。

特に読書人にとって耳が痛いのは、読書態度に関する記述だろう。自ら思考せず、やみくもに本を捲るだけの読書態度は、「精神の麻痺」をもたらし、本人にとって無益なだけではなく有害でもあると説かれている。日頃の読書態度を反省させられる人も多いのではないだろうか。

解説で触れられている母との対立、大学人としてのヘーゲルとの対決なども面白い。

流行作家だったショーペンハウアーの母は、ヘーゲルが大家になりつつあることを警戒し、出版されたばかりのショーペンハウアーの博士論文「充足理由律の四根について」を「薬屋向けの本」と揶揄し、息子を激昂させている。1814年、ドレスデンに向かったショーペンハウアーは生涯二度と母と顔を合わせなかったという。

その後ベルリン大学講師として採用されたショーペンハウアーは、無謀にも一年目で当時人気絶頂だったヘーゲル教授の講義「倫理学形而上学」と同じ時間に、自らの講義「総合哲学、すなわち世界の本質及び人間の精神について」を設定する。その結末はというと...。

ヘーゲル一派の著作への批判については、本文中でも触れられている。

この仮面はフィヒテが導入しシェリングが磨きをかけ、ついにヘーゲルでその絶頂を迎えた。常にこの上ない大成功を収めている。しかしながら、誰にも理解できないように書くことほどたやすいことはなく、これに対して重要な思想を誰にでも理解できるように表すことほど、難しいことはない。

名高い「意志と表象としての世界」も読んでみたい。

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

 

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫) 伊東 俊太郎 (著)

世界史における一地方に過ぎなかったヨーロッパの躍進のきっかけを描く。

ギリシャ、ローマの知識は決してヨーロッパ全土に直線的に受け継がれたのではなく、その直接の後継者はアラビア・イスラム文化だった。中世の知識人たちは異文化の知識を吸収しようと努め、その情熱は三度のルネサンス運動に繋がっていく。

彼らの姿は、明治時代に西欧文化と格闘した日本人たちを思い起こさせる。

 

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)

十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)

 

 

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫) ウェブスター (著)

本作は、孤児のジェルーシャ(ジュディ)が、謎の紳士ジョン・スミスの経済的援助を受けて女子大に進学し、才能を開花させてゆく物語だ。

本文はジュディによるスミス氏(あしながおじさん)への「月に一度のお礼状」の文面という形式をとる。

 

孤児院で最年長の少女、ジェルーシャ・アボットに、何度目かの憂鬱な第一水曜日が巡ってきたある日の場面から、物語は幕を開ける。鬱々とした生活を送っていたジェルーシャの元に、突然のグッドニュースが舞い込んでくる。

それは、ジェルーシャの作文を気に入った孤児院の評議員のジョン・スミスなる人物が、大学進学のための学費と寮費として月35ドルの支給を申し出たという知らせだった。

ジェルーシャは、その見返りに月に一度のお礼状を出すことを求められる。こうして、ジョン・スミス氏こと「あしながおじさん」との一方通行の手紙のやりとりが始まる。

 

与えられた好機に感謝し、ジェルーシャは自由な学生生活の出来事を逐一報告してくる。バスケの選抜チームに選ばれたこと、友人を級長に当選させるべく「政治活動」に励んだこと、バニラ風味の牛乳ゼリー(通称「墓石」)のことなどだ。初めて知った自由な世界の喜びに満ち溢れた手紙からは、ジェルーシャの弾む気持ちが伝わってくる。風変わりな「ジェルーシャ」という名前ではなく、「ジュディ」と名乗り始めるのもこの頃だ。

かと思えば、返信のないおじ様への不満が次第に募りはじめ、手紙に書いた質問の答えが欲しいと駄々をこね、不機嫌さをあらわにしては、その後で後悔してみたりもする。

また、発見の連続の日々を楽しみながらも、自分とは対照的な上流階級育ちを鼻にかける仇敵、ジュリアには冷ややかなコメントをしたためている。

ジュリアの母親はラザフォード家の出身なんだそうです 。ラザフォード家はノアの方舟に乗ってやってきた家系で 、ヘンリー八世と姻戚関係があるんだそうです 。父方の一族はアダムより古い家系らしいです 。ジュリアの家の家系図のてっぺんには 、絹みたいにつややかな毛のはえた特別にしっぽの長い上等な種類のサルが座ってるんでしょうね 、きっと 。

やがて、周囲の学生と比べて教養が足りないことを気にしたジュディは本の虫となり、古典名作を読みふけってみたりもする。ショートストーリーコンテストで最優秀の成績を修めてからは、作家としての将来に憧れを抱くようにもなる。だがその後、女優、孤児院の院長、学校の先生と、入れ替わり立ち代わりに将来像は揺らいでいく。

一時期は、作家として名を馳せることを夢見ることもあったがジュディだが、やがてそういった立身出世の願望は影をひそめていくことになる。「小さな幸せを積み上げる」という幸福についてのある種の選択について綴られた手紙は、本作の中でも特に印象的だった。

また、成長していくにつれて、いつまでも正体を現さない「あしながおじさん」との関係についても不満を述べることが増えていく。特に、成績優秀者向けの奨学金を受給することを認めてもらえないことがわかったときには、その不満はピークに達し、反抗心があらわな手紙が届くようになる。だが、実は「あしながおじさん」の正体は...。

 

ジュディの天真爛漫な一面が溢れる文章を読んでいると、ページを捲る手が止まらず、一気に読み終えてしまった。多感な少女の成長を見守るような読書体験は、読者の皆さまの予想通りの(?)ハッピーエンドのもと幕を閉じる。

当時の時代背景を考えれば、ジュディはこれ以上はない幸福を手にしたことになるのかもしれないが、昨今の女性の社会進出という視点から見つめ直すと、いろいろと疑問点も生じるのかもしれない。女性読者の意見も聞いてみたいところである。

 

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫)

あしながおじさん (光文社古典新訳文庫)

 

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kvjdyey.hateblo.jp

 

 

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英国一家、フランスを食べる マイケル・ブース (著)

技術的には未熟ながら、料理への熱意は人一倍ある英国人ジャーナリスト、マイケル・ブースは、フランス料理文化の守り手と名高い名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」のパリ本校への入学を決意する。そして妻と二人の子どもとともに、パリへ移住する。

著者の食との出会い、そしてパリ移住への決意を記した章から、本書は幕を開ける。

まず驚かされるのは、「好き嫌いが多い」という表現でさえ語弊があると自ら述べるほどの、著者の子ども時代の偏食ぶりだろう。

僕は10歳ごろまで、フライドポテトとタノックスのティーケーキ〔マシュマロとスポンジケーキをチョコレートでコーティングしたお菓子〕以外、ほとんどなにも食べない子だったのだ。

英国一家、フランスを食べる (Japanese Edition) (Kindle の位置No.79-81). Kindle 版.

そんな著者が食通への道を歩み始めるきかっけは、幼い日のとあるフランス料理のディナーだった。

それまで、友人の家でベークドビーンズが差し出されたことを理由に「瀕死のタコみたいに床をのたうち回」っていたマイケル少年は、その日のたった一度のディナーで「とてつもない官能的恍惚」に満たされ、奥深いフランス料理の世界の虜となる。

月日は流れ、妻と子どもを持つ身となってからも趣味の域を超えて料理を愛し続けていた著者は、だが、玄人はだしから抜け出せない己の料理の技術に、あきたりなさを感じてもいた。そして一念発起した著者は、冒頭で述べた通り、フランス料理文化の中枢に飛び込むことを決意する。

 

筆者の考える本書の魅力は、以下の三点に集約される。

一つ目は、紙面上で展開される豪華絢爛な料理の描写だ。一流の料理人で、なおかつジャーナリストでもある筆者が描き出す、優雅で素晴らしく不健康な料理の数々には、心踊らされる。

また、軽妙な文体で綴られるフランス料理の歴史にも注目して貰いたい。太陽王の時代にまで遡る宮廷料理を始め、実はフランス料理に先行していたイタリア料理と、その文化への、フランス料理界の愛憎(?)、作中で何度も触れられる、モダンで珍妙な創作料理「フュージョン」や「分子ガストロノミー」の誕生など、この箇所だけでも読み物として極めて面白い。

また、随所に挿入される、料理にまつわる tips や、トリビアも興味深い。一芸を極めた人間のみが望むことのできる展望、その高みから見下ろすと、テフロン加工の「くっつかない鍋」は悪魔の発明であり、オリーブオイルはフランス料理で使うものではなく、イチゴとチョコの相性は最悪なのだ(?)。

二つ目は、優れた指導者のもとで、優秀な仲間と切磋琢磨し、成長を重ねていくビルドゥングスロマン(大げさ?)としての読書の高揚感だ。料理に限らず、仲間で切磋琢磨した経験がある人には特に響く内容だろう。

入学時には、熱意こそあれ十人並みの技術しか持ち合わせていなかった著者は、持ち前の洞察力と集中力を発揮し、教官たちの技法を吸収していく。著者の優れている点については多くの分析が可能だろうが、実際に各地のレストランに足を運ぶ行動力、教官や他の生徒たちに対する綿密な分析能力などは特筆できる。著者の観察眼の素晴らしさについては、先ほども触れたが、本文中での技巧を凝らした料理の数々についての描写を読めば、納得していただけると思う。

なんらかの専門性を身につけようと日々もがき苦しんでいる(著者を含めて)全ての読者のためのヒントが、本書には隠されているのではないだろうか。

そして三つ目は、「やりがい」のために経済的自由や、家族と過ごす幸福を犠牲にすることへの著者の葛藤である。

順当に料理人としての道のりを歩み始め、パリでは誰もが知る超有名レストランで見習いとして働き始めた筆者は、飲食業界の現実を目の当たりにすることになる。

人生の大半を注ぎ込んできた分野で、多くの時間と金銭を費やして手に入れた地位を手にしているとき、多くの人にとって、冷静かつバイアスのない判断を下すことは困難を極めるだろう。葛藤の末の著者の決断は、ぜひ自分の目で確認してもらいたい。

 

まとめると、この一冊には駆け出しの素人が一人の職人になるまでの全過程・全苦痛が、凝縮されていると言えるのではないだろうか。だが濃密な体験を綴った本は、ともすれば胸焼けを起こしてしまいそうだが、そこは一流の料理人にしてジャーナリスト畑出身の著者の技が光り、周囲の事物へのユーモラスかつ辛辣な批評が読書の味を見事に引き締め、口当たりのよいものとしている。

遅読の自分には珍しく、二日間で一気に読み切ってしまった。ここ一ヶ月でいちばん人に薦めたい本だ。

 

英国一家、フランスを食べる