【読書・人文書】読書について (光文社古典新訳文庫) ショーペンハウアー (著), 鈴木 芳子 (翻訳)
トルストイ、カフカ、トーマス・マン、ニーチェに称賛された、あるいは影響を与えた著者の手によるアフォリズムが織り込まれた哲学小論集。
怠惰な読書は、能動的に磨き上げた思考に劣ると述べた「自分の頭で考える」、文体の乱れが思考と品位に影響を与えることに警鐘を鳴らす「著述と文体」、良書を読むために悪書で無駄なエネルギーを消費しないこと、良書は二度読んで味わうこと、洗練された古典を読むことの効用などを述べた「読書について」の三本からなる。
特に読書人にとって耳が痛いのは、読書態度に関する記述だろう。自ら思考せず、やみくもに本を捲るだけの読書態度は、「精神の麻痺」をもたらし、本人にとって無益なだけではなく有害でもあると説かれている。日頃の読書態度を反省させられる人も多いのではないだろうか。
解説で触れられている母との対立、大学人としてのヘーゲルとの対決なども面白い。
流行作家だったショーペンハウアーの母は、ヘーゲルが大家になりつつあることを警戒し、出版されたばかりのショーペンハウアーの博士論文「充足理由律の四根について」を「薬屋向けの本」と揶揄し、息子を激昂させている。1814年、ドレスデンに向かったショーペンハウアーは生涯二度と母と顔を合わせなかったという。
その後ベルリン大学講師として採用されたショーペンハウアーは、無謀にも一年目で当時人気絶頂だったヘーゲル教授の講義「倫理学と形而上学」と同じ時間に、自らの講義「総合哲学、すなわち世界の本質及び人間の精神について」を設定する。その結末はというと...。
ヘーゲル一派の著作への批判については、本文中でも触れられている。
この仮面はフィヒテが導入しシェリングが磨きをかけ、ついにヘーゲルでその絶頂を迎えた。常にこの上ない大成功を収めている。しかしながら、誰にも理解できないように書くことほどたやすいことはなく、これに対して重要な思想を誰にでも理解できるように表すことほど、難しいことはない。
名高い「意志と表象としての世界」も読んでみたい。