イタズラ電話

海外・国内文学、人文、自然科学などのジャンルを中心とした読書の感想を綴ります。光文社古典新訳文庫、平凡社ライブラリー、講談社文庫、ちくま学芸文庫などが多めです。時たま、古墳散策とタイピングについての記事も。

【読書・海外・紀行】英国一家、フランスを食べる マイケル・ブース (著)

技術的には未熟ながら、料理への熱意は人一倍ある英国人ジャーナリスト、マイケル・ブースは、フランス料理文化の守り手と名高い名門料理学校「ル・コルドン・ブルー」のパリ本校への入学を決意する。そして妻と二人の子どもとともに、パリへ移住する。

著者の食との出会い、そしてパリ移住への決意を記した章から、本書は幕を開ける。

まず驚かされるのは、「好き嫌いが多い」という表現でさえ語弊があると自ら述べるほどの、著者の子ども時代の偏食ぶりだろう。

僕は10歳ごろまで、フライドポテトとタノックスのティーケーキ〔マシュマロとスポンジケーキをチョコレートでコーティングしたお菓子〕以外、ほとんどなにも食べない子だったのだ。

英国一家、フランスを食べる (Japanese Edition) (Kindle の位置No.79-81). Kindle 版.

そんな著者が食通への道を歩み始めるきかっけは、幼い日のとあるフランス料理のディナーだった。

それまで、友人の家でベークドビーンズが差し出されたことを理由に「瀕死のタコみたいに床をのたうち回」っていたマイケル少年は、その日のたった一度のディナーで「とてつもない官能的恍惚」に満たされ、奥深いフランス料理の世界の虜となる。

月日は流れ、妻と子どもを持つ身となってからも趣味の域を超えて料理を愛し続けていた著者は、だが、玄人はだしから抜け出せない己の料理の技術に、あきたりなさを感じてもいた。そして一念発起した著者は、冒頭で述べた通り、フランス料理文化の中枢に飛び込むことを決意する。

 

筆者の考える本書の魅力は、以下の三点に集約される。

一つ目は、紙面上で展開される豪華絢爛な料理の描写だ。一流の料理人で、なおかつジャーナリストでもある筆者が描き出す、優雅で素晴らしく不健康な料理の数々には、心踊らされる。

また、軽妙な文体で綴られるフランス料理の歴史にも注目して貰いたい。太陽王の時代にまで遡る宮廷料理を始め、実はフランス料理に先行していたイタリア料理と、その文化への、フランス料理界の愛憎(?)、作中で何度も触れられる、モダンで珍妙な創作料理「フュージョン」や「分子ガストロノミー」の誕生など、この箇所だけでも読み物として極めて面白い。

また、随所に挿入される、料理にまつわる tips や、トリビアも興味深い。一芸を極めた人間のみが望むことのできる展望、その高みから見下ろすと、テフロン加工の「くっつかない鍋」は悪魔の発明であり、オリーブオイルはフランス料理で使うものではなく、イチゴとチョコの相性は最悪なのだ(?)。

二つ目は、優れた指導者のもとで、優秀な仲間と切磋琢磨し、成長を重ねていくビルドゥングスロマン(大げさ?)としての読書の高揚感だ。料理に限らず、仲間で切磋琢磨した経験がある人には特に響く内容だろう。

入学時には、熱意こそあれ十人並みの技術しか持ち合わせていなかった著者は、持ち前の洞察力と集中力を発揮し、教官たちの技法を吸収していく。著者の優れている点については多くの分析が可能だろうが、実際に各地のレストランに足を運ぶ行動力、教官や他の生徒たちに対する綿密な分析能力などは特筆できる。著者の観察眼の素晴らしさについては、先ほども触れたが、本文中での技巧を凝らした料理の数々についての描写を読めば、納得していただけると思う。

なんらかの専門性を身につけようと日々もがき苦しんでいる(著者を含めて)全ての読者のためのヒントが、本書には隠されているのではないだろうか。

そして三つ目は、「やりがい」のために経済的自由や、家族と過ごす幸福を犠牲にすることへの著者の葛藤である。

順当に料理人としての道のりを歩み始め、パリでは誰もが知る超有名レストランで見習いとして働き始めた筆者は、飲食業界の現実を目の当たりにすることになる。

人生の大半を注ぎ込んできた分野で、多くの時間と金銭を費やして手に入れた地位を手にしているとき、多くの人にとって、冷静かつバイアスのない判断を下すことは困難を極めるだろう。葛藤の末の著者の決断は、ぜひ自分の目で確認してもらいたい。

 

まとめると、この一冊には駆け出しの素人が一人の職人になるまでの全過程・全苦痛が、凝縮されていると言えるのではないだろうか。だが濃密な体験を綴った本は、ともすれば胸焼けを起こしてしまいそうだが、そこは一流の料理人にしてジャーナリスト畑出身の著者の技が光り、周囲の事物へのユーモラスかつ辛辣な批評が読書の味を見事に引き締め、口当たりのよいものとしている。

遅読の自分には珍しく、二日間で一気に読み切ってしまった。ここ一ヶ月でいちばん人に薦めたい本だ。

 

英国一家、フランスを食べる