イタズラ電話

海外・国内文学、人文、自然科学などのジャンルを中心とした読書の感想を綴ります。光文社古典新訳文庫、平凡社ライブラリー、講談社文庫、ちくま学芸文庫などが多めです。時たま、古墳散策とタイピングについての記事も。

北大谷古墳(東京都八王子市)

雨のそぼ降る休日の昼下がり、八王子市郊外にある北大谷古墳に足を運んできた。

北大谷古墳を選んだ理由は簡単 で、googleで「多摩 古墳」と検索すると表示される古墳の中で、アクセス的に最も近かったからという安直なものである。

 

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奥に短いトンネルが見える。市内から歩いてきて、このトンネルを超えると境界を超えるような感覚がある。

 

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トンネルを超えると閑静な住宅街が広がる。駅から北に向かって浅川を渡り、10分ほど歩くと、かつて「ひよどり山」と呼ばれていた小宮公園に至る。そのまま道なりに進むと、左手に土がむき出しとなった坂道があらわれる。

 

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上の写真は坂道の途中で撮影。ちょっとした山道と呼んでも差支えないような坂で、少しだけ冒険気分が味わえる。

 

坂を登りきり、畑を横目に進んだ先に古墳はある。

 

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 古墳周辺のパノラマ写真。右中央奥が墳丘。

 

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墳丘の様子。石室はその特異な形状から、「三味線胴張り石室」、「胴張り型横穴式石室」と呼ばれていたという。かつては石室が公開されていたが、今ではもう埋め戻されているようだ。

今回の訪問では、石室の位置は確認することができなかった。散策している間に左足くるぶしが蚊の餌食となる。

 

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掲示によると北大谷古墳が築造されたのは七世紀。古墳時代の終末期だという。日本史の記憶が定かなら、その頃は近畿地方では大陸にならって、計画都市が成立した時期だったはず。その時代にも都から遠く離れたこの地では古墳が築造され、同時代に存在していたという事実が興味深い。

 

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お守りが墳丘の木の枝に掛けられていた。落し物だろうか。

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こちらは学業成就のお守り。周辺住民の方の願かけか、単なる落し物なのかはわからない。

 

雨足が強くなってきたので、急いで坂を降りて帰路につく。今回はここまで。