イタズラ電話

海外・国内文学、人文、自然科学などのジャンルを中心とした読書の感想を綴ります。光文社古典新訳文庫、平凡社ライブラリー、講談社文庫、ちくま学芸文庫などが多めです。時たま、古墳散策とタイピングについての記事も。

【読書・海外文学】絶望 (光文社古典新訳文庫), ウラジーミル・ナボコフ, 貝澤哉

こんなにうれしいのは、だれかをペテンにかけた場合なんだな。たったいまある人物をみごとにペテンにかけたところだが、だれかって? 読者よ、鏡をよくよく覗いてみるがいいさ、なにせおまえさんは鏡に目がないときてるんだからな。

ビジネスマンのゲルマンは、自分にそっくりの顔を持つ浮浪者フェリックスと出会ったことをきっかけに保険金殺人を企てる。それは本人曰く、完璧な計画殺人と呼ぶべきもの。本作はゲルマン自身による手記の体裁を取った小説だ。

 

ナボコフの作品を読むのはこれが三作目(「カメラ・オブスクーラ」、「偉業」に次ぐ)だが、この作家の名前を聞いてまず思い浮かぶのは、翻訳の妙技を思わずにはいられないような複雑な文体だ。一体、どんな文学史上の地獄めぐりを抜けてきたらこんな文章を紡ぐことができるようになるのだろう。

そして、こんな多様な言語のバックグラウンドを持った作家が、凡人には想像もできないような複雑な起伏を持った言語野の上に作り上げたお城のような小説を、分解して別の土地の上に再構築する仕事というのは、血の汗を流すまで働く馬を何頭揃えれば達成できる事業なのだろう。

我ながら過剰な文章になってしまった感があるが、これもきっとナボコフの文章を読んだばかりだからだろう。だがナボコフの文章を真似た、などと書くほど恥を知らない訳でもない。話は逸れるが、「もしも有名作家◯◯が××をしたら」の類の仮定法の遊びは好きなのだが、どうも不得意なようで、自身満々にその手の小話を披露しても、多くの場合遊び相手になってくる恋人からはあまりいい反応を得られない。これは恐らく、その作家の作品群について自分独自の解釈をしてしまっているか、または単に作品の読み込みが足りず、思い浮かんだ有名どころの文章から得た印象を一般化してしまっているからなのだろう。これではただの知ったかぶりであり、舌の根も乾かぬうちに赤っ恥をかくのがオチである。

自分の思い上がりを戒めたところで作中に話を転じれば、主人公ゲルマンの自身の能力への絶対的な自信は揺るがないということに気づく。特に妻のリーダの凡庸さを引き合いに出して、自惚れるような描写が多い。ではこの男は本当にそれほど有能なのだろうか?というのが本作を読む上でのポイントのようだ。

この作品がゲルマン自身による手記という体裁である以上、読者自身も本人の言を信じるしかないというのがこの作品の一種の「叙述トリック」であり、ミソであるという点は解説でも触れられており、納得できた。

偉そうなことを書いているが、正直なところ終盤に差し掛かるまではゲルマンのこうした虚勢を見抜けてはいなかった。まぁいかに凡庸と言っても、ナボコフの文体を借りた凡夫なのだから、見破れなくとも勘弁して欲しいところである。

実際のところ一介の凡夫に過ぎない者が自分の矮小さに気づかぬまま取り返しのつかない悪事に手を染め、自分の書いた筋書き通りに事を運ぶことが可能であると本気で信じてしまったらどうなるのか。

ゲルマンが自らの手記に「絶望」というタイトルをつけるに至るまでの経緯は、読んでからのお楽しみである。

 

絶望 (光文社古典新訳文庫)

絶望 (光文社古典新訳文庫)

 

ここ数年フォローしている有名読書ブロガーの読書猿さんによれば、長らく絶版だったナボコフの文学講義が最近復刊したとのことなので、こちらもぜひ読んでみたい。