イタズラ電話

海外・国内文学、人文、自然科学などのジャンルを中心とした読書の感想を綴ります。光文社古典新訳文庫、平凡社ライブラリー、講談社文庫、ちくま学芸文庫などが多めです。時たま、古墳散策とタイピングについての記事も。

【読書・海外文学】寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫) ムージル (著), 丘沢 静也 (翻訳)

舞台は良家の子息の集まる寄宿学校。

寄宿生テルレスは、 宮廷顧問官の息子。空想しがちで、空き時間には授業で扱った「無限」や「虚数」といった数学上の概念を少年なりに真面目に検討してしまい、決まって最後にはメモリがパンクしてしまうような少年だ。

「無限!」。テルレスは数学の授業でこの言葉を知った。これまでこの言葉から特別なことを想像した事はなかった。何度も繰り返し使われる言葉だ。誰かが発明したのだ。それ以来、固定したもののように「無限」を使って、確実に計算できるようになった。まさに計算の時に必要なものだった。それ以上のことをテルレスは求めたことがなかった。ところが突然、ひらめいた。この言葉には、恐ろしく人を不安にさせるものがくっついているのだ。飼い慣らした概念のように思えていた。毎日それで、ちょっとした手品をやっていたのだが、突然、飼い主の手から放れてしまったのである。

社会的地位の高い両親の目を盗み、悪友たちと娼婦通いなどしてはいるが、性的衝動というよりは、友人たちとの付き合いの中でそうした行為に耽っている。

ところが、そんなテルレスに転機が訪れることになる。

ある日テルレスは盗みを行った同室の美少年バジーニが、件の悪友たちから私刑を加えられるのを目にし、まだ知らない感情の目覚めを悟る。それが少年テルレスに大きな混乱を招き、息遣いまで聞こえてきそうな意識の流れの文体が展開されてゆく。

寄宿学校の暗く湿っぽい面を象徴する、生徒たちの秘密の屋根裏部屋や、テルレスや悪友バイネベルクたちが抱く、超越的なもの・神秘的なものへの深い関心、バジーニへの密かな劣情、とうに少年期を過ぎた数学教師や校長との「谷間越し」のようなわかりあえないやり取りなど、作中には思春期特有の情動が栗の花の匂いのように充満している。

湿度が高く、むせ返るような青春物語が読みたい方におすすめです。

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

 

 

【読書・国内・エッセイ】ねにもつタイプ (ちくま文庫) 岸本 佐知子 (著)

まるで著者の性格を一言で表したかのようなタイトル(本人は文中で否定しているけど)に、日常生活で感じるよしなし事が綴られた文章。

こうした構成の本を読むと、脊髄反射的にエッセイ集の類なんだろうなぁと分類してしまう。

しかしエッセイだと決めてかかって読んでいると、三行先で深みに嵌る、そんな読み物だった。

国会図書館に調べ物に行く話(「お隣さん」)では、著者と隣り合っているという「炭焼き」の「岸本Q助」氏の名前を見て、なんとなく倉橋由美子「スミヤキストQの冒険」を思い出した。

あの作品を意識していたりしたら、面白いけど。

 

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

 

 

【読書・人文書・心理学】ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) ダニエル・カーネマン (著), 村井章子 (翻訳)

ノーベル経済学賞受賞者が著した、人間の認知と思考の癖を紐解く一冊。

瞬時の判断を司る「速い」思考と、論理的判断を司る「遅い」思考の特徴についての記述が興味深く、 これまで漠然と感じていた、自分自身を含めた人間一般の思考の癖(手元にある情報から都合の良い因果関係をでっち上げる、イメージを元にした連想から、評価基準の異なる事象どうしを評価してしまう...など)への不信感が確かなものになった。

ただし、これ自体が認知のバイアスであるかもしれないということもこの本は教えてくれるのだが...。 

 

【読書・海外文学】天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑) E.M. フォースター (著), 中野 康司 (翻訳)

天使も足を踏み入れるのを恐れるところに、愚か者は飛び込む───。

本書のタイトルは、アレクサンダー・ポープによる有名な格言が元になっているそうだ。読み終わって始めて、この格言の意味がわかった。

裕福で世間体を重んじるイギリス中産階級の一家と、経済的には貧しいが自由奔放な生活を送るイタリアの片田舎の若者という対照的な人びとは、一人の“愚か者”の行動が元で、ぶつかり合うことになる。

特に注目して貰いたいのは、ヘリトン家の近所に住まう慈善事業に生涯を捧げる女性、キャロライン・アボット

序盤ではごく退屈な女性でしかなかった彼女の印象は、イタリア訪問をきっかけに大きく変わり始める。

そして、喜劇的要素は影を潜め、終盤では息も詰まるような衝撃の展開が繰り広げられる。その場面を挟むような、フィリップとアボットの独白は特に印象深く、ほぼ全文を写し取ってしまった。

 

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

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kvjdyey.hateblo.jp

 

 

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【読書・海外文学】死の家の記録 (光文社古典新訳文庫) ドストエフスキー (著)

地下室の手記」以来の惹きつけられる読書体験。美しい悪夢を見て、ぐったりと疲れて目覚めたときのような読後感に浸れる。監獄の灰色の日常の中で異彩を放つ降誕祭の場面、特に囚人たちによる演劇のシーンと、読んでいるこちらまで少し後ろ髪を引かれるような気分になる出獄のシーンが好き。

 

死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

死の家の記録 (光文社古典新訳文庫)

 

 

【読書・海外文学】イー・イー・イー タオ・リン(著)

「優雅な読書が最高の復讐である」に載っていた訳者の山崎まどかさんの解説を読んで興味を持ったので読んでみる

身の回りの誰かを思い出す、不毛さと鬱屈した感情の洪水だった。登場する「イルカ」はなんとなくWindows XPの例のイルカ(人によっては見ていると腹が立つらしい)で想像してしまった。ジュンパ・ラヒリへの妬み嫉みが伝わる箇所が多く、苦笑いさせられることもままあった。

山崎まどかさんの切れ味の良い解説文を読んでいなかったら、内容を消化しきれていたかは不明である。

 

イー・イー・イー

イー・イー・イー

 

 

【読書・海外文学】城 (新潮文庫) フランツ・カフカ (著)

永遠によそ者を拒み続ける「城」の見下ろす村で、主人公Kが翻弄され、爪弾きにされていく物語である。不条理文学というといかにも堅苦しく聞こえるが、自分になんら落ち度がないはずであるのに、周囲の人間からの圧力によって、自分の意志を捻じ曲げざるを得ない状況というのは、誰の人生にも起こりうることだろう。カフカの作品を読むことで、気づかされることは多い。

本作で特に印象的だったのは、終盤のペーピーの長い独白だ。 Kとフリーダの奇妙な同棲は、人格を認め合うのではなく、単にお互いを近づきがたい城へのコネクション(=フリーダ)と、自らを汚すに相応しい、最も下等な相手(=K)と見なすことで取り持たれていたという指摘が、鳥肌ものだった。

前田敬作さんのあとがきも明快だった。自己疎外される現代社会の不条理を看破したのは、永遠の異邦人とされたユダヤ系のカフカマルクスである。

 

城 (新潮文庫)

城 (新潮文庫)